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ドイツとイタリアの写真

!!!ドイツとイタリア!!!




2000年7月5日
 主人の職場で勤続10年の御褒美とかで63万程いただいて病院視察をかねてドイツ、イタリアへ行くことになった。阪急交通社のあずささんにfaxと電話で相談をくり返しプランを練ってもらった。海外初デビューの主人を連れてツアコンを勤めさせてもらいました。二人分の航空券、ホテルやツァーのバウチャ−でヘチマのバックはパンパン。あす朝が早いので関空にある日航ホテルで前泊する。夕食は関空のスカイサントリーでお疲れさまセット、チジミ、牛タン等で済ませ明日に備えてベットに入る。

2000年7月6日
 いつもの手続きを終え9時ルフトハンザ機は予定通り関空を飛び立った。いつものようにおつまみとアルコール。食事。機上11時間半ののち、夏時間採用で7時間の時差のため、同日午後二時半頃フランクフルトに到着。空港はとても広くむしくんはたばこ、たばこと大騒ぎ。迎えの人とも無事あえて、タクシーで今日のホテル、インターコンチネンタルに到着。チェックインのあと、旧市庁舎の辺りを散策。その時、二人組のきれいな女性が近付き、二マルクコインを一マルク二枚にかえてほしいと近付いてきた。財布のなかを捜していると自分のコインを入れて同時に手を入れてきた。これは危ないと思い、コインを返却した。しばらくすると また同じことをいってやって来た。皆さん気をつけて。
 へちまはヨーロッパは今回が初めてなので建物に圧倒された。あちこちにある石像、レンガつくりの建物は、礎石、柱、壁、軒先き、屋根と至る所が多彩な彫刻で飾られ、広場には噴水、銅像、オベリスク等があり、シャッターを押しまくった。夕食は地球の歩き方にのっているのを捜したが休みでもう一つの候補に入った。さすがソーセージ等は美味しかったが、野菜類が乏しく、じゃがいもとザワークラウトのみでした。白夜のため明るかったが疲れているので早いうちにホテルへ帰って休んだ。

2000年7月7日
 8時フランクフルト発のJALバスで古城街道を南下、まずハイデルベルクでとまる。ハイデルベルク城と地下にある世界最大のワインだる、ネッカー川にかかるカール テオド−ル橋、部屋の至る所に落書きのある学生牢を見学した。ギネスに載っているという33度のビールも飲んだ。
 ひきつづきバスに乗り今夜の宿泊地ローテンブルクへとむかう。ところが途中のアウトバーンでタンクローリーが横転爆発し、六人もの死者を出す事故があり、全面閉鎖、迂回路大渋滞で到着が大幅に遅れ予定が狂った。年中クリスマスのオーナメントをうっている有名な店があったのに、しまってた。広場のからくり時計では昔、市長が市民を助けるために大樽のワインを飲み干したという故事を人形が演じるということを聞いていたので、食事の途中むしくんを人質に抜け出して見た。食事はやはりポテトとザワークラウトがセットでついていた。ローデンブルクは回りを城壁で囲まれたまちなのでそのうえを廻ってみたりもした。泊まったアイゼンフートというホテルは可愛いアンティークなホテルでした。

2000年7月8日
 昨日と同じように8時にJALバスに乗り、現在は観光、ホテル、老人ホームに使われているあちこちの山頂の古城を車窓から見上げながら、南下を続けた。途中楽しみにしていたノイシュバンシュタイン城を訪問した。少し雨が降っていて残念だったがそれにもかかわらずすばらしいものでした。青いやねと白い壁のコントラストがすばらしく白鳥城という名がぴったりでした。城の設備もすばらしく女中部屋ですら我が家より立派に思えました。謎の死をとげたハンサムなルードビッヒ王に相応しい素敵な城でした。
 バスでミュンヘンへ向かい今夜のホテル、シティヒルトンへチェックイン。白夜の経験も貴重だったが、刃物屋のショーウインドウにゾ−リンゲン、ヘンケルと並び日本製の包丁が陳列されているのは頼もしく誇らし気に思った。市内は自転車道が整備されておりいいことだと思った。食事はホテルで食べた。やはりポテトとザワークラウトがついていた。ザワークラウトは場所により味が違っていた。明日はローマだ。

2000年7月9日
 朝コンチネンタルのはずが違う方へ案内され豪華な朝御飯を食べる事に。オムレツも目の前できれいなお姉さんが焼いてくれた。もちろん追加料金を取られました。今日はローマへの移動日です。ところが空港へ送って暮れるはずの人が来ません。会社に電話してもまだあいてないし、時間は迫るし、仕方なくタクシーで空港へ向かう。もちろんベンツ。観光バスは100キロに制限されているが、タクシーは規制がないので160〜180キロの快適なドライブでした。ルフトハンザでローマのフィウチミーノ空港へ。リラに両替えの後、迎えの人にスターホテルメトロポールへ送ってもらう。ひと休みして地下鉄でコロッセオへ行く。切符は売店のようなところでかった。買い方、乗り方を親切に教えてくれた。片手に段ボール、片手に子供を抱いたうわさに聞いていたジプシーのスリにも遭遇したが、幸い被害はなかった。地下鉄の車両の外壁にはニューヨークの それのようにびっしりと落書きがなされていた。駅から地上に出ると辺り一面遺跡だらけで圧倒された。コロッセオはここで人と人、動物と戦ったと思うと背中がぞくぞくした。恐ろしい事だ。周辺のフォロロマーノ にも圧倒された。カピトリーニ博物館に主人が入ろうといったが高いわよと渋々同意しました。同意してよかったです。思ったより広く展示物もすばらしいものでした。質の高さ、うつくしさに度胆を抜かれました。しかし、これ以降に見学した多くの美術館、博物館もこれにまさるとも劣らずで、古代ローマの文化の高さと奥深さを嫌という程感じさせられた。そのあと真実の口、トレビの泉と地図を片手に歩き続けた。ホテルには 迷いながらやっとの事で戻る事ができた。
 ローマ市内のほとんどの道路や歩道は、ローマ時代に設えられたすりへった石畳で黒光りして美しくもあり、幅は結構広いのだが、駐車場がないので、片側や両側が駐車場として利用されているため狭くなり、やたらと一方通行が多かった。またローマ市内のところどころで、建物のすぐわきに古い石柱がにょっきり突き出ていたり、崩れた壁の一部が立っているのを見ると、現在のローマが遺跡の上に建てられている事を実感します。

  2000年7月10日
 8時45分みゅうデスク集合。ローマの半日観光を申し込んでおいたから。トレビの泉もまたついていたのでいく。昨日と違って水がない。掃除の日。私達は昨日見ていてよかった。バチカンのサン ピエトロ寺院は多数の丸天井のフレスコ画、壁面の石像、彫刻、大理石の床の色大理石によるモザイク画と非常にすばらしいものばかりで、人類の宝物だと感じられた。また25年に1度ひらくという天国の扉を通ろうとする人でごったがえしていました。これ以降も、各地の寺院、美術館、博物館等に天井画がとても多く、これらを見る度に首がだるくなった。
 14時30分今回の目的である病院の視察。私はさぼろうかと思ったけれどむしくんが一緒にいこうというので参加。一応栄養士の資格があるのでやった事もないのにその肩書きで参加。医学用語のわかる通訳についてもらって見学。サンドロ ぺルティニ病院を訪れる。医者と経営者から話を聞き、見学させてもらう。給食室まで見せてくれる。イタリアのホームドクター制度の説明も伺う。本来の目的を終えほっとする。
 ローマ滞在中よくテルミニ駅にあるスーパーへいった。チーズ等も安くて美味しいのがあった。パスタもおみやげように買い求めたりもした。ちなみにテルミニ駅には改札がない。はじめてみた時変な気がした。あとバールといわれる飲食店をよく利用したがカウンターだとチップはいらない。テーブルにつくといる。
 水に関してはペットボトルを首からぶら下げていた。ローマ滞在が長かったので安い所で買い込んだ。チップも計算が大変。部屋に荷物を持ってくる人のチップのバウチャ−も用意してフロントで渡していてもまたもらおうと思って部屋を出て行かない。明日は楽しみにしていたポンペイだ。

2000年7月11日
 7時ホテル集合ののちナポリ、ポンペイの遺跡を訪ねるツアーに出発。朝食を早く済ませて出たらバールでパンとコーヒーのサービスがあった。いろんな国の人が一台のバスに乗っていて、2人のガイドがついていて1人は英語、イタリア語、スペイン語で説明し続け、樋口さんというかたが日本語で説明された。バスはイタリアを南下、べスビオス火山を背景にしたナポリ湾を見物。とてもいい景色だった。町並みと海と山が絶妙に調和していた。その後,BC27年大噴火によって埋没したポンペイの遺跡を見学した。日本の弥生時代に相当する当時のポンペイのあまりにも高度に発達していた文明に驚くばかりでした。街灯がないので歩道に月光で輝く白大理石が道標としてうめこまれていること。雨水も地下にためて利用している事。馬車から歩道に降りるのに踏み石を置いてある事。売春宿がありメニューが残っている事。きれいに色の残った壁画。鉛管の上水道(鉛中毒で平均寿命が40才位だったのだが)。当時のかまどの後。飲み込まれた人々。ずーっと昔の世界へ引き戻されそうでした。さんさんと照りつける太陽に現実に引き戻されましたが、、、遺跡の下にさらにもっとまえのが見つかったとか。歴史の規模の大きさに圧倒されました。ポンペイは本当に来てよかった。

2000年7月12日
 午前中に再度バチカンを訪れる。今日の目的はシスティーナ礼拝堂とバチカン美術館だ。本当は個人でじっくり見たかったが並ばないといけないのでツアーにしたが、日本人が少なかったので英語のツアーでもいいかと聞かれ、仕方ないといったら半分お金が返った。日本人はぼられているのだ。両方ともなかはそれはそれはすばらしいものでした。もっと空いていたらもっといいでしょうに。ぞろぞろと団体がひしめき合い、いろんな国の言葉が飛び交い、説明を聞き取るのと迷子にならないのとで必死でした。さいわいとても背の高い人がいたので、そのひとを目印にしていました。ガイドさんはイタリアでは折り畳みがさを掲げて目印にしていますが小さいので目立ちません。礼拝堂のなかはいもの子を洗うようで、神戸のルミナリエ状態でした。でも本当に目の保養になりました。昼からはボルゲーゼ美術館ヘ行きました。前もって予約をとっておきました。ホテルのフロントで頼んで電話をかけてもらいました。まだ時間があったのでボルゲーゼ公園でピッツァを買って食べました。鳩や雀がいたのでパン屑をやりました。イタリアではスパゲティを食べてもパンがつくのでお腹が空いた時にととっておいたのが役に立ちました。のんびりと主人と童心に返りトリと戯れました。イタリアのマツカサはとても大きく頭にあたったら痛いだろうと思うようなものでした。持って返って主人が植えたら大きくなりました。時間がくると入館を許され貴重品以外は預けさされやっとの思いで入れました。時間で人数制限をしているのでゆったりとみれました。やはりここの美術品もすばらしいものでした。やはり美術館等は個人で見たいものだ。
 毎日ローマの町を歩き回って道案内ができるくらいね、と主人と話しました。骸骨の骨でできた骸骨でら。ブランドものを買いに来た日本人で一杯のスペイン広場(どうして前の道には人が多いのか、と主人。ブランド物のお店、とへちま。僕達に関係ないな、と主人。ひやかすぐらいやりたかったヘチマ。)。娘の婿にサッカーのシャツを買おうと入り、チーム名は聞いていたが背番号がわからなかったこと。道に迷い偶然行ったクイリナーレ宮殿。遺跡に一杯いたネコ達。折角行ったのに人が一杯で買い物できなかったハードロックカフェ。いろんな思い出とともに明日はローマを去ります。

2000年7月13日
 JALバスでローマを離れて北上し、中世にフィレンツェと覇を競い合った美しいドウモのあるトスカーナの古都、シエナを観光する。シエナ色という言葉にも残るようにとても荘厳なたたずまいで中世そのものの世界へタイムスリップした感じです。ここでは時間がぴったりとまっているかの様です。ここへきた記念に銀のブレスレットを買いました。そのあと富の象徴として建てられた塔がたちならぶサンジミヤーノへも行きました。ガイドさんはもうすぐ日本へ帰るという山田聖子さん。元気のいいガイドさんでした。バスは今日の最終目的地フィレンツェに着きました。ドウモという建物はあちこちに存在するが、フィレンツェのそれの荘厳でうつくしい佇まいは群を抜き、たくさんの人でにぎわっていました。
 イタリアの観光地でよく見かけたのですが、ここの広場でも観光客相手にブランド物のコピー、青銅製の工芸品、ショール、サングラスを路上で売る多くの人がいます。彼等の一部は黄色人で、大部分は黒人でした。多分非合法だという事は、警官をみると店を畳んで逃げ出すのです。いないと解ると又開店です。店といっても段ボールでできた手作りの折り畳みしきのものです。主人が興味を持って写真ばかり取るのでなにかいわれないか心配でした。その日はグランドマジェスティクホテルに泊まりました。

2000年7月14日
 午前中フィレンツェ市内の観光ツアーに参加しました。ドウモ、ミケランジェロ広場、メジチ家のヴェッキオ宮殿、そこから執務館への通路を兼ねた二階建て屋根付きのヴェッキオ橋をみました。広場からの眺めは最高でした。レンが色の町並みが青い空をバックに映えていました。宮殿はその権力と富みをこれでもかというくらい見せつけてくれました。念願のウフィッツイ美術館は1時間半まちといわれ、それにもめげず並びました。私が並んでいる間主人はその界隈の写真を取りまくっていました。しかし空回りで写真はだめでした。美術間ではガイドブックを参考にひと部屋ずつ丹念にみました。ツアーだったらこのようには見られないでしょう。ヴィーナス誕生は感激でした。フラッシュこそ禁止だけれど撮影は許可されていました。見終えた後、美術館のバールでお茶にしました。私がカプチーノと間違えエスプレッソを頼んでしまったのです。私はいいのですが主人は苦いコーヒーだといってもっていたペットボトルの水を入れて飲んでいました。きっとイタリアの人の目にはへんなおじさんにうつったでしょうね。

2000年7月15日
 JALバスで北上し、モザイクの町ラベンナへ。教会のなかのモザイクは気の遠くなる程繊細でした。うすぐらいなかでも際立っていた。昼はペンネやラビオリといったイタリアならではの食事でした。ローマからのJALバスの食事はとてもよかったです。バスがベネチアに着く時は大雨でした。二人ともトイレに行きたくて 有料トイレが見つかったのですが紙幣をいれるとカードが出てそのカードを入れると入れるシステムなんですが、雨で紙幣がぬれていて中々うまく行かず苦労しました。ここだけは迎えの人もなく重いバゲィジをガラガラ引きずっていました。とりあえずホテルのあるサンマルコひろばにいくために船に乗らねばなりません。水上タクシーのような船と、乗り合いバスのような船があります。お金をけちってやすいほうのヴァポレットというのに乗りました。安いだけ凄い人で凄いラッシュアワー状態。むしくんとはぐれるは、変なアジア系の人に両替えをすすめられるは、押されるは、おりるとこは解らないは、たいへんでした。なんとか降りたもののホテルが解らない。やっと着いた時には二人とも疲労困ぱい。べネチアはホテルがやっととれたのであまりいい所でなく、値段の割におそまつでした。部屋の調度品もよくいえばアンティークなんでしょうが、薄汚れていると言えなくはないものでした。いままでは全部バスタブがあったのにシャワーだけだし、ちょっと悲しい。

2000年7月16日
 午前中にヘチマの希望でベネチアンガラスで有名なムラーノ島を水上バスで訪れる。まずガラスの博物館に行く。昔の繊細なガラスがよく保存されていた。とてもきれいでモダンなのもあった。後お店を冷やかしたりして再びサンマルコ広場へ戻った。午後からは迷路のようなべニスの町の陸路を探検して歩いた。その時一生乗れそうにない白い超大型豪華客船が入港していた。それは圧巻であった。今日は日曜なので何処も凄い人で主人は人に酔っているようでした。ベネチアといえばゴンドラですが、私はニュージーランドのエボン川で乗った事があるし、乗るより見るものだと思ってやめた。聞く所によるとすぐ海なので悪臭がするといわれていたのに全くそれはなかったです。最後の夜はすすめられたレストランでイカスミスパ、小羊、魚介スープ、ム−ル貝を食べた。帰り道広場の鳩にパンをあげていると、パレードが始まり国旗をおろしていた。運良く見られてラッキーでした。今日はイタリア最後の夜です。

2000年7月17日
 朝再びサンマルコ広場で鳩にパンをやり、荷物を押しながら迎えの人がくるゴンドラ乗り場へと向かい、無事あえて一安心。ミュンヘンの事があったので心配でしたが、無事空港まで送ってくれました。もちろん水上タクシーで。この迎えの人がミュンヘンでのトラブルを連絡してくれて、帰国後返金してもらえました。
 ベネチアの空港からフランクフルトへ飛び夜行便にてかんくうへむかった。むしくんはアテンダントさんにおやすみなさいといわれながらもワインをねだっていました。ジャンボ機は偏西風の助けを借りて10時間余りのフライトで翌18日、関空に無事到着。思い出に残る旅でした。テレカのことで書き忘れました。イタリアのテレカは左上の三角形を切り取らないとつかえません。気をつけて下さい。なんやかんやで二人の旅は無事終わりました。ありがとう、楽しい旅を。むしくんまた行こうね。





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